フォーカス(焦点)について Focus and unfocus

前回エッセイを書いてから、気づいたら2年も経ってしまっていました。筆不精もいいところですが、、少しずつ書き溜めていければと思っています。

今回は焦点(フォーカス)について書いてみたいと思います。

焦点(フォーカス)は写真を撮る時に合わせるピントのこと(説明になっていないかも)で、フォーカスが合ったところはくっきりと写り、フォーカスが合っていないところはぼやけて写ります。またこのフォーカスという言葉は一般的な用語としても広く使われ、〇〇に焦点を当てた企画、〇〇にフォーカスしてみましょうといった具合に、そこに注目するといった意味合いで使われます。以前に写真雑誌FOCUSがあったように、写真の用語が世の中に広まったと考えられるような、とてもわかりやすい用語でもあります。先ほどすでに使ってしまったピントという言葉もありますが、これも「あなたピントがずれてるね」というように日常的にも使われますね(最近はあまり使わなくなりましたかね)。

それではカメラ、写真におけるフォーカスについて思いつくままに書いてみようと思います。

カメラはレンズを通して光を取り入れ、像を作り出します。カメラのことをあまり知らない方はピンとこないかもしれませんが、カメラのレンズは最近のものはとても複雑に設計されており、よくあるカメラについているレンズでも、実は中に7枚ものレンズが入っていたりするのです。それは写真を綺麗に見せるための、設計者さんたちの腕の見せ所だとは思うのですが、素人には難しすぎるのでここでは触れません(触れられません)。なのでイメージしやすいように、カメラのレンズが1枚であると想定して話を進めたいと思います。

小学生のときに理科の実験でやったことがあるかと思いますが、あの虫眼鏡を使って太陽の光で紙を焦がすアレです。太陽の光はレンズの面を通って収束し、一点で焦点を結びます。これが焦点です。レンズから焦点までの距離を焦点距離と呼びます。見ている対象物がちょうどこの焦点距離の位置にあるとき、像はくっきりと見えます。逆に焦点距離から外れていると、ぼやけて見えることになります。たとえば街中でカメラで人を撮影するとします。そうすると、人に焦点が合うようにカメラを構えてシャッターを切ると、人には焦点が合っているので人はくっきりと写りますが、後ろの背景はぼやけてみえます。後ろの背景がぼやけて見えるのを日本語ではボケといいますし、海外でもbokeと言います。karaokeなどと同様に海外で使われている日本語の一つです。日本の文化ってこういうときにちょっと誇らしくなりますよね。このボケですがもう少し詳しく話すと、レンズの被写界深度が関係してきます。被写界深度というのは焦点が合う深さのことで、被写界深度が深いほど焦点が合う距離が長くなり、浅いものほど短くなります。たとえばスナップ写真を撮った時に、人には焦点が合うけれども背景はボケているという状態の写真は被写界深度が浅いと表現し、遠くから撮影した場合などは人にも焦点が合っているけれども、後ろの背景もボケずにピントが合っているという写真では被写界深度は深いと言います。物凄く被写界深度の浅いレンズだと、人の顔を撮った場合に、瞳には焦点が合っていて虹彩までもくっきり写っているが、鼻はもうピントからずれているのでボケているというレンズもあります。

 

この写真ではフォーカスは手前の錠前に合っています

 

ですので、写真を撮る人はこのレンズの焦点距離や被写界深度を気にしながら、自分がどういう写真を撮りたいかによって使い分けることになります。一般的な考え方で言いますと、情報をきちんと伝えたい時は全部に焦点が合っている(パンフォーカス、もしくはディープフォーカスと言います。パンとは全てとか、汎といった意味で、精神科では汎不安というと、なんでも不安という意味で使われます)ことが必要になり、ちょっとかっこよく写真を撮りたい、雰囲気を出したいときには背景はボケていると綺麗に見えるといった感じです。

技術的なことを書き加えますと、全体にフォーカスしたいときは手前から奥まですべてに焦点が合っている、すなわち被写界深度を深くするとよいので、この場合は絞りを絞ることになります。逆になるべく浅くフォーカスして、フォーカスした部分以外はぼけているのがよい場合は絞りを開放します。絞りには絞り値というものがあり、たとえばレンズの表記で、50mm f1.2と書いてあるレンズだとすると、焦点距離が50mmで、f1.2というのが絞り値になります。ちなみにfがfocal(焦点の、という意味)の略です。

 

この写真ではフォーカスは少し奥のオートリキシャーに合っています

 

ただこれは好みの問題や、何をもってカッコいい、求めている雰囲気とは、などがあり、簡単に基準を提示するのはむつかしいところです。なのでオーソドックスな考え方でと断っておきつつ、話をすすめることにします。

たとえば報道写真ですが、これはボケを作る必要はなく、その写真に写っているものすべてにピントが合っていることが必要になります。見る側はそこに写っている人の表情も知りたければ、背景に写っている旗の文字から、群衆を取り巻く警察官の持っている装備など、なるべく多くの情報を見たいと思っています。それによってその場の状況をありありと感じられ理解もできます。風景写真も同じことが多いようです。近くにある紅葉のはじまった木々の葉から、遠くの山々、さらには青い空に浮かぶ雲まで、すべてに焦点が合っていると写真が成り立ちます。

しかしポートレート写真となると事情は変わってきます。素敵な本棚とシェードランプのある部屋で人を撮影するとします。この場合、一つの考え方ですが、本棚のそれぞれの本の背表紙のタイトルまでは細かく知らなくてよいとすると、本棚には焦点を合わせる必要がありません。またシェードランプも少しボケているくらいがカッコよく写るかもと考えると、人にだけ焦点を合わせて、他のものには焦点を当てずに撮影するという風に考えます。そしてそれに合ったレンズと絞りを選んで撮影すると、思ったような人には焦点が合っていて、背景の本棚とシェードランプはボケているけど写っていて、素敵な本棚とシェードランプのある部屋にいる人を写真に収めることができます。本棚にある本のタイトルはいちいちわからなくてもいいですよね。シェードランプもボケていれば、そのカサにのっている埃まではうつらないはずです。そうすると全体として、すてきな写真に仕上がるはずです。

 

この写真ではフォーカスは奥のカーテンや観葉植物に合っています

その代わり、手前の錠前やオートリキシャーは完全にボケています

 

先ほどの風景写真も実は同じことが言えます。もちろん手前の紅葉がぼけているいる方がよい場合もありますし、逆に遠くの山々がかすかにぼけている方が味がある場合もあります。これは好みの問題かと思いますが、ぼかすことが写真の奥行きを与えることも事実です。

さてここからが本題です。何にフォーカスするか、何を撮りたいか、何を表現したいか。カメラだとそういうことになりますが、私たちの心も同じように考えられます。何を見て生きていきたいか、世界のどんなニュースにフォーカスしているか、誰のどんな言葉に耳を傾けていきたいか。それは各個人の心に委ねられています。マスメディアは不安を煽るニュースを流すでしょうし、検索エンジンは冒頭に誰もがクリックしたがるようなニュースを並べます。膨大な記事、情報によって我々の脳は消費されがちですが、それも本来は選択は個人の自由です。自分でそれを意識しないと、余計な情報に勝手に脳が消費され、肝心な考えないといけないことに使う余力が残っていないことになります。すでにデジタルデトックスという言葉も世に浸透してきています。なかなかスマホから距離をとるのは難しいですが、デジタルデトックスはやってできないことはありません。

自分の心が何に焦点を当てるかによって、世界の見え方も違ってくると思います。ネガティブな人はネガティブなニュースに引っ張られがちです。それでなくても人間は不安や恐怖といったネガティブな感情を伴うニュース、事象に心をもっていかれがちです。そうすると心、脳は消耗されます。疲れて、生産的な脳の活動が鈍くなってしまいます。ではポジティブな人はどうしているのでしょう。もともと根っからのポジティブな人はいないと思います。bipolarity(躁鬱の気とでもいいましょうか)がある人で、やや軽躁状態を維持している人もいますが、それは本当の意味でのポジテイブとは異なるので、ここでは除外させていただきます。ポジティブに生きている彼らは努力して、確固たる自分をみつけ、ネガティブなものに引っ張られない心を作っているのだと思います。自分に自信がない人、自己評価が低い人は人の意見、ネガティブな事象に引っ張られがちです。

ちょっと話は横道にそれますが、注意欠陥多動性障害(ADHD)やその傾向がある人は自分の関心事、意識を集中したいところが移ろいやすい傾向にあります。あるものが気になっていても、次に気になることが来ると、フォーカスしているところがすぐに移り、またその次に移りといった具合です。なので想像するとわかるかと思いますが、一つのことをじっくり考えることには向いていない性格とも言えます。何事も広く浅くという感じです。また何か物事を失敗しても、深く考えずに次の行動に移ります。なので、失敗から学ぶということも少ないかもしれません。だんだんこう書いていると自分のことを紙面にまとめているような気になってきたので、ここでやめておきます。

話を戻しますと、人は自分が意識してフォーカスしたいことを選べます。何を考え、感じたいか、何を考えたくないか、何とは繋がりたくないか。自分自身の意識で、行動で選択できるのです。もちろん生来的に不安を抱えやすい脳の状態になっている、つまりは脳内のセロトニンの調整やドーパミンの調整がよくない人もいて、どうしてもマイナスなことにフォーカスしやすい、心を持っていかれやすい人もいますが、それでもある程度は自分で不安をコントロールすることは可能です。日頃から自分が何にフォーカスして生きていきたい人間かを考え、情報を選択し、それを習慣化することはとても大事と考えます。

フォーカスするのが自分にとって有益な情報であることも大事ですが、意識に限らず普段の人間関係も同じだと思います。苦手な人間関係を維持し続ける必要はありません。意識にのぼる情報と同じように、つながる人も選べます。よりよい人生のために、自分のために、何事にもきちんとフォーカスしていけたらいいですよね。写真もです。何を撮りたいか、何を見せたいか。写真も人生も楽しくありたいです。

長い文章にお付き合いありがとうございました。